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2024年4月 理事会挨拶

2024.6.04

 日々届くニュースは、世界中で続く戦火と一般市民の苦闘、国内では遅々として進まない震災復興、そして裏金問題に何の反省も見せず対米追従にひた走る政権…といったものばかりです。本日は視点を変えて、温故知新(故きを温ねて新しきを知る)としてわたし達の先達の活動を振り返ってご紹介いたします。

 1977年9月に開催された全日本民医連第3回運動交流集会で汐田病院助産師の吉村キクヨ氏が「すべての職種と患者が参加する短歌サークルの活動について」と題した発表をされています。

 …1969年6月。職員10人程で発足した汐田病院の短歌サークルは、病院の名前をとって「うしお」と名づけられた。うしおはやがて全職種に及び、次第に患者、患者家族、地域の人達へとひろがり、民医連活動を文化の面でつなぎながら広い支持をうけるまでになっていった…現在も「暮らしとからだ」に掲載されている「うしお歌会」の始まりです。

 時代背景として、民医連が老人医療無料化運動をくりひろげ、病院職員にも頚肩腕症候群患者がふえ、日本列島改造計画のもたらした建材費の高騰に苦しめられながらも地域の人々の拠金によって汐田病院増改築を決行し…といった激動のさなかに例会が続けられてゆきました。入院中に歌会に参加された患者さんからは「病院中に短歌的空気がみなぎり、それが患者に接する態度をより高いものにしている」「ほんとうに刻のたつのも忘れた愉しい歌会でした。汐田病院の家族になった様な気がして愉しかった入院生活でした」との感想が寄せられています。

 最近、20歳前後のZ世代を中心に短歌が人気となっており、SNSでブームとなっているとの報道もあります。50年以上の歴史を有する「うしお歌会」が、今後は若い方も加わっていただき末永く継続されること、そして職員と友の会の皆さんが共に文化的活動を楽しめる機会が増えてゆくことを願っています。以下に当時の作品を紹介します。

視力表 くいいるごとき 白濁の 瞳に長き 労苦を見たり             筒井完治

2歩だけど 歩けたのよと 小声にて 吾子の寝顔を 夫とのぞく       宮守八重子

診るたびに 退院を聞きしが 新しき 背広を壁に 残して逝けり       原 英暑

幼子と 夫をのこして 今朝逝きし ほほに幾度 塗りて紅さす         森田ヤイ子

出稼ぎか 岩手の村の 保険証 ペン止めて見る 同郷なれば           斉藤英雄

夕暮れて つめたき月を 見上げつつ 病める姑 待つ家路をたどる     村田泰子

ジュラルミンの 楯に打たれし 下顎を そっと診たるに 骨折音あり   野末侑信

はじめての 地域にゆきて 母性保護 語らいながら わが汗にじむ     椎橋とも子